聖書のお話 2026.02.22
【聖書箇所】マルコの福音書11:15~18 【説 教 題】宮きよめ 【中心聖句】わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる。(マルコ11:17) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】372聖なる者と 過越の祭りを前にした日曜日、主イエスさまはロバの背に乗ってエルサレム入城なさり、宮を一巡りなさいますと、弟子たちと共にその日はいったんベタニヤ村へと戻ったわけですが、翌日(月曜日)になると、ある目的のために再びエルサレムの宮へとやっていらっしゃいました。今回は、そのお話になります。 そこで、まずは当時の宮について少し説明を加えますと、当時の宮には神殿だけでなく、「祭司の庭」や「イスラエルの庭」や「婦人の庭」と呼ばれる敷地がありました。また、その外側に広く設けられていたのが「異邦人の庭」と呼ばれているところで、今回の舞台はここになります。ちなみに、当時の異邦人や宦官などは神殿に近づくことが許されていませんでした。ですから、今回の舞台となった異邦人の庭が異邦人や宦官などの礼拝の場になっていたようです。 なお、異邦人の庭では、この日も商人や両替人たちが声を張り上げて叫んでいました。「さあ、いらっしゃい!ささげものの動物はこっちだよ!」とか、「両替の人はいませんか。外国のお金をユダヤのお金に両替するなら、ここが便利だよ!」とか…。確かに、遠方からやってくる巡礼者たちにとって、わざわざ供え物の動物を携えてこなくても、ここで調達できるわけですから、それはそれでありがたいものであったに違いありません。ところが、不純な利益を得ようとする者たちはいつの世にもいるものです。悪賢い商人たちは外国人や宦官など最も立場の弱い人たちに対して、法外な手数料を取っていたのです。また、供え物に関していえば宮の外で買う値の十倍以上の値段で売りつけてもいたというのです。さらには、この異邦人の庭が大勢の人でにぎわう「売り買いの場」になってしまったというだけでなく、そこが「祈りの場」であることを軽視し、近道をするために宮を通り抜ける者たちもいたというのですから、とても落ち着いてお祈りできる雰囲気ではなかったようです。さらにもっといえば、このような場合、本来、祭司たちが取り締まってしかるべきであるはずなのですが、現状はそのようにはなっていなかったというのです。何と、彼らは商人や両替人...