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聖書のお話 2024.11.10
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【聖書箇所】マタイの福音書17:1~13 【説 教 題】イエスの変貌 【中心聖句】すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。(マタイ17:2) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】182ただ信ぜよ イエスさまはよく12弟子を連れてあちこちに行動されましたが、ときに彼らの中から特別に3人を選んで行動されることがありました。その3人とは、ペテロとヤコブとヨハネのことなのですが、彼らは会堂管理者の娘が生き返らされたときとか(ルカ8:51)。ゲツセマネの園での祈りのときとかに(マタイ26:37)、イエスさまといっしょにいることを特別に許されたのです。そして今回の出来事のときもそうでした。イエスさまは彼らを連れて高い山へと登って行かれたのです。ちなみに、その山がどこであったのかは明記されていないのでわかりませんが、タボル山という説とヘルモン山という2つの説があるようです。とはいえ、当時のタボル山には偶像の宮があり、かなりの人の往来があったようなので、そういったことから推測するとヘルモン山説の方が正しいのかもしれません。いずれにせよ、この日、この山において、彼らは今まで見たことも経験したこともない、すばらしい光景を目撃することになるのです。そこで今回は、この山で何が起こったのかを、ごいっしょに見ていきたいのです。 さっそくですが、主イエスさまの最初の受難予告があって後、一週間位がたったある日のことです。イエスさまは12弟子の中からペテロとヤコブとヨハネを選ぶと、彼らを高い山へと導いて行かれました。すると、どうでしょう。2節にあるとおり、彼らの目の前でイエスさまの御姿が変貌して、御顔はまるで太陽のように輝き、また御衣はまるで光のように白くなったというのです。要するに、彼らはこのとき、イエスさまご自身の本来のお姿を特別に見せていただくことが許されたのです。そしてそれは神の栄光の輝きであり神の完全な聖さの現れでもありました。 しかも、そんな弟子たちを驚かせるさらなる出来事が起こりました。3節。旧約時代に活躍したモーセとエリヤが、何と、変貌なさったイエスさまのところに現れ、何やら話し合っていたというのです。はたして、モーセとエリヤはなぜイエスさまのところに現れたのでしょうか。別な言い方をすると、弟子たちが見たこの光景に
聖書のお話 2024.11.17
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【聖書箇所】ヨハネの福音書8:1~11 【説 教 題】罪赦された女性(考えることと感じること) 【中心聖句】 医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。 (マルコ2:17) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】438悩む世人のために 今回のお話は、「姦淫の場で捕らえられた女性」として知られている箇所です。そこでまずは登場人物ですが…。1節に「イエスさま」、2節に「イエスさまに教えを乞う民衆」、3節に「律法学者とパリサイ人」そして「姦淫の場で捕らえられた女」とありますから、彼らが今回の登場人物になります。なお、律法学者とパリサイ人について少し説明を加えますと、彼らは律法の専門家であり、研究家であり、また人々の指導者でもありましたから、いわゆる知的階級のエリートといっても過言ではありません。 ところが、そのようなグループのひとりでもないイエスさまが登場するやいなや、イエスさまの教えや評判はどんどん高まっていきました。そして群集がイエスさまの方に引きつけられていったりもしたものですから、律法学者とパリサイ人たちはイエスさまを大変ねたましく思うようになりました。どうやら今回の箇所は、そういった彼らの悪巧みから起こった出来事のようです。なお、姦淫の場で捕らえられたひとりの女性ですが、彼女はイエスさまを陥れようとする律法学者やパリサイ人たちの格好の餌食として、イエスさまの前に連れて来られたのです。 さて、このようなことを踏まえた上で、4節と5節をご覧ください。これは律法学者とパリサイ人によるイエスさまへの質問ですが、ここを読むと彼らの動機がいかに不純であり、イエスさまを陥れるための悪巧みであったかがよくわかります。というのも、彼らの質問はこうでした。 「 先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。あなたは何と言われますか 」 と…。 このような場合、考えられる答えは2つです。1つは「この女性を石で打ってはならない」というものであり、もう1つは「この女性を石で打て」というものです。たとえば、イエスさまが「この女性を石で打ってはならない」と言った場合、どのようなことが考えられるでしょうか。その場合、これはチャンスとばかり