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聖書のお話 2025.12.21

【聖書箇所】ルカの福音書2:11~12 【説 教 題】飼葉桶 【中心聖句】今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。 この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝て いるみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。 (ルカ2:11~12) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】74世の人忘るな   日々の暮らしの中で、誰もが毎日のように使っている鏡ですが、単純な問いとして、鏡の役割とはいったい何でしょうか。 私たちが最初に思いつくのは、鏡は「自分の外見」を映し出すということではないでしょうか。朝起きると、私たちはまず洗面所で自分の顔を確認したり、全身を映し出して身だしなみを整えたりなんかもするからです。 また、鏡は外見だけに留まらず、「自分の内面」を映し出すという役割も担っているのではないでしょうか。たとえば、皆さんは次のような経験をしたことはないでしょうか。鏡の中のいる自分に向かって、「お前、きょう元気ないなっ!」とか、「お前は十分に頑張ってるぞ!」とか、「もっとゆとりをもったらどうだ!」とか言っている経験です。私はそのような意味で、私たちが鏡に向き合うとき、鏡は「自分の外面」だけに留まらず、「自分の内面」をも見つめる機会を与えてくれていると思うのです。 ところで、キリスト教でよく言われていることの1つに、「聖書は自分の内面を映し出す鏡のようなものだ」というのがあります。聖書は自分の内面を映し出す鏡のように、自分の心をありのまま、包み隠さず映し出してくれているというわけです。 では、聖書から見えてくる自分とは、どのような存在でしょうか。ずばり、それは「か・が・み」という三文字からも明らかなように、三文字の中心が「が」になっているということです。つまり「が」とは「われ」とも呼ぶ「我(が)」のことを意味しているわけですが…。わかりやすく言えば「自分中心」ということです。聖書から見えてくる自分は自己中心であるということです。 たとえば、集合写真を手にしたとき、私たちが真っ先にしがちなこと…。それは自分がどこにいるかということではないでしょうか。しかも自分の写真写りが悪いと、平気で文句を言ったりなんかもするわけです。 実は、本日の聖書箇所をみると、救い主イエスさま誕生の際、赤ちゃんイエスさまが最初に身を...

写真2024.10.20

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                                                           ご 挨 拶   「人生は出会いで決まる」とは、ユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーのことばです。人は誰と出会うかで、その人の生き方、人生が決まるというのです。 私の知る限り、イエス・キリストとの出会いによって、多くの人々が喜びと希望と感謝のある新しい人生に変えられています。 そこでいかがでしょうか。あなたもキリストにある新しい人生を私たちの教会で求めてみませんか。 あなたのご来会を、心よりお待ち申し上げております。                                        牧師:黒田 明