聖書のお話 2025.09.07
【聖書箇所】列王記 第Ⅱ 5:1~19 【説 教 題】ナアマンの服従 【中心聖句】同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。 「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。 (Ⅰペテロ5:5) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】394 今回の説教では、神の救いを素直に信じ、受け入れる大切さについてみていきます。まずは1節~3節をご覧ください。ここには1つ屋根の下にいながら、あらゆる点で対照的なふたりの人物が登場してきます。ひとりはアラムの王の将軍ナアマンです。彼はアラムの王の将軍として、とても主君に重んじられ、尊敬されていました。しかし1節の後半をみると、気になることがあります。「 この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた 」と記されてあるからです。要するに、彼の外側はピカピカの軍服に身をかため、数えきれないほどの勲章が誇らしげに下がっていたことでしょう。けれども、彼の内側をのぞいてみると、ツァラアトのために皮膚がただれ、悪臭をはなち、その姿は醜いものになってしまっていたのです。そして、そのような醜い姿は自分でもイヤですし、また人にも知られたくありませんから、彼はその醜さを隠しながら生きてきたのです。 私たちはこのナアマンから、「が」でつながる2つの側面をみることになります。1つは「勇士であった」という喜ばしい側面。もう1つは「ツァラアトに冒されていた」という悲しい側面です。しかもナアマンの場合、それは悲しい側面が強調されているところの「が」であったことを私たちは知らなければなりません。なぜなら、「この人はツァラアトに冒されていたが、勇士であった」ではなく、内容は全く逆の「 この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた 」とあるからです。というわけで、この世の中にはナアマンのような人がたくさんいらっしゃいます。学歴はある「が」、人を愛せない…、願っていた職にもつくこともできない…、そんな暗く切ない人生を送っている人。財産はある「が」、友と呼べる友がいない…、相談相手がいない…、そんな孤独で寂しい人生を送っている人。あるいは、念願のマイホームを手に入れることができた「が」、家庭内はギスギスしている…、ローンの返済も本当に大変だ…、そんな辛く悲しい人生を送っている人…。 一方...