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聖書のお話 2025.08.17
【聖書箇所】列王記 第一 3:5~14 【説 教 題】知恵を求めたソロモン 【中心聖句】あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、 だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。 そうすれば与えられます。(ヤコブ1:5) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】196祈れ物事 今回、皆さんと共に考えたいテーマは「祈り」です。ご承知のとおり、聖書の中には神さまに祈った人の話がたくさん出てきます。たとえば、旧約聖書の中にアブラハムという人がいましたが、彼のとりなしの祈りはとても有名です。甥のロトが住んでいる町ソドムが滅ぼされてしまうことを知ったアブラハムが、心を痛め、助けてくださるようにと何度も何度も神さまに祈ったのです。このときの彼の祈りは、すぐに祈ることをやめてしまいやすい私たちにとって、失望しないで祈り続けることの大切さを教えているのではないでしょうか。 同じく、旧約聖書の中にモーセという人がいましたが、彼はアマレク人との戦いの際、手を上げて祈りました。彼が手を上げて祈っている間はイスラエル軍が優勢になり、反対に彼が疲れて手を下げてしまうとアマレク軍が優勢になったという、あの祈りです。なお、アロンとフルのふたりがモーセの手を両側から支えてくれたので、ついに勝利を得ることができたという、このときの祈りは1つの目的のために互いに祈り合い、また支え合っていく大切さということがよくわかるのではないでしょうか。 また、新約聖書の中には有名な十字架上のイエスさまの祈りや殉教する際のステパノの祈りがあります。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」と祈られた、あの祈りです。しかも、その祈りが迫害する者のためのとりなしの祈りであったことを覚えるとき、迫害する者をさえ神にあって愛し、また赦していこうとする心がなければ、とうてい祈ることができない崇高な祈りであったことを、私たちは心に銘記しておきたいと思うのです。 ところで、今回のところにはダビデの息子ソロモンが次のイスラエル王位継承者となったときの祈りが取り上げられています。ある日のこと、神さまが夢の中でソロモンに現われ、こう言われたのです。「ソロモンよ。あなたに何を与えようか。願...