聖書のお話 2026.10.11
【聖書箇所】創世記22:1~19 【説 教 題】信仰の試練 【中心聖句】【主】の山には備えがある。(創世 22 : 14 ) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】316御言葉なる 日本には、子どもを最上の宝とすることわざがたくさんあります。「子は第1の宝」、「千の倉より子は宝」、「子に勝る宝無し」等々。なお、アブラハムにとって1番の宝は何だったでしょうか。やはりそれは息子のイサクだったのではないでしょうか。なぜなら、イサクはアブラハムが年老いてから与えられた待望のひとり息子だったからです。そればかりではありません。アブラハムにとってイサクこそが、神さまの約束である「子孫繁栄」の保証でもあったからです。そのため、アブラハムと妻のサラは息子イサクをこよなく愛し、大切に育てていきました。 ところが、ある日のこと、思ってもみなかった神さまからの語りかけがアブラハムにありました。「アブラハム。あなたの愛しているイサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、その山で全焼のいけにえとしてイサクを私にささげなさい」と…。神さまはどうしてそのような要求をなさるのでしょうか。第1に、全焼のいけにえとしてささげるとは、ここでは動物でなく人の命をささげるということです。神さまが愛であるなら、どうしてそんなことをおっしゃるのでしょうか。第2に、「最愛の息子をささげなさい」と言われたところで、どうして親が愛する子の命をささげることができるでしょうか。第3に、もしその子の命をとってしまったら、彼こそが子孫繁栄という神さまからの約束の保証でもあったはずなのに、いったいそれはどうなってしまうのでしょうか。 アブラハムは、このような神さまからの突然のご命令に対して、非常に悩み、苦しみました。恐らく、赤ちゃんのときのイサク、よちよち歩き回っていたときのイサク、あるいは神さまのお話を聞いて目をキラキラさせていたときのイサクを思い出しては、涙を流したのではないでしょうか。けれども、悩みに悩み、苦悩に苦悩を重ねた末、アブラハムは次のような信仰の確信を得ました。すなわち、神さまは意味もなく人間を苦しめるはずがないということ。それに、神さまは冷酷なお方ではなく、愛のお方であるということ。さらには、神さまは全能のお方であられるがゆえに、たとえイサクが死んでも、彼を生き返らせることがおできになる...