聖書のお話 2026.07.19

【聖書箇所】ルカの福音書5:17~26

【説 教 題】中風の人の癒やし

【中心聖句】「友よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(ルカ5:20)

【説 教 者】黒田 明

【新 聖 歌】446あなたの罪過ちは

 

 

 今回のところには、中風の人をお癒しになられたイエスさまのみわざというものが取り上げられています。同じ内容の記事は、マタイ9:2~8、マルコ2:1~12にもあります。なお、今回の出来事はカペナウムにあったイエスさまの弟子のひとりシモン・ペテロの家が舞台になったのではと推測されています。というのも、マルコ1:29~32をみると、カペナウムにあったペテロの家が彼のしゅとめに対する病気の癒しに用いられましたし、多くの病人の癒しと悪霊にとりつかれた者の解放のためにも用いられていたように読み取ることができるからです。

 いずれにせよ、イエスさまのうわさを聞いて、この日も遠くから近くから、多くの人たちがその家に集まって来ていました。なお、17節と21節のところに「パリサイ人たちと律法の教師たち」とありますが、多くの人たちがイエスさまを慕い求めて来ていた中にあって、彼らの目的はそうではありませんでした。はたして、彼らはなぜイエスさまのもとにやって来たのかというと、それは調査のためでした。イエスさまの言動をチェックするためにわざわざやって来たのです。しかも、イエスさまを陥れようとする悪意の目をもって、彼らはやって来ました。ともあれ、イエスさまがいたその人の家は、このようにして入り口にまで人でいっぱいになっていたのです。

 すると、ちょうどそこに中風を患っている男性を寝床ごと運んできた人たちがやって来ました。イエスさまのうわさを聞きつけた彼らが5人でやって来たわけです。ところが、到着してみると、家の周りにはすでにたくさんの人たちがいて、もはや入り口にさえ近づくことができませんでしたから、彼らは考えに考えた末、名案が思いつきました。「そうだ、家の外の階段から屋上に上り、屋根をはがして、そこから彼を寝床ごとつり下ろすことにしよう。イエスさまにならきっと病気の友を癒していただけるに違いない」と…。

 こういうことで、彼らはさっそく家の外の階段を使って屋上に上っていきました。そして、木の枝や土でできていた屋根の瓦を一生懸命にはがしていったのです。すると、やがてそこに大きな穴を開けることができたものですから、彼らはその穴から寝床ごと病気の友をつり下ろすことに成功したというわけです。

 そこで20節をご覧ください。イエスさまはそんな「彼らの信仰を見て」とあります。はたして彼らの信仰とは、どのようなものだったでしょうか。思うに、友人たちはこのとき神学的に正しくきちんとイエスさまを理解できていたかというと、そうではありませんでした。むしろ、イエスさまの評判を聞きつけ、イエスさまにならきっと病気の友を癒していただけるに違いない…、そう思った。その程度のものでしかありませんでした。しかし、今回に限ったことではありませんが、ご自身にすがろうとする者の信仰がどんなに小さく、不安定で、からし種ほどのものでしかなかったとしても、それでもイエスさまは喜んで人々をお救いになられるのです。

 なお、「病気の癒し」を求めている人にとって、もしその病気が癒されたなら、それはその人にとって幸いな救いになるでしょう。但し、このような一部の人限定ということでなく、すべての人のための大切な救いがあることを、私たちは知らなければなりません。すなわち、それは「罪の赦し」です。またそれは「神との平和な関係の中に入れられる」幸いな救いでもあります。そのため、イエスさまは中風を患っている人に向かって、「友よ、あなたの罪は赦された」とおっしゃいました。恐らく、これを聞いた人々にとっては首をかしげるというか、理解しがたいことばのように思えたに違いありません。というのも、目の前にいるのは病人です。それなのにイエスさまは、「あなたの病気は癒された」ではなく、「あなたの罪は赦された」とおっしゃたからです。

 一方、これを耳にしたパリサイ人たちと律法学者たちですが…、彼らは心の中でこうつぶやきました。「神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか」と…。要するに、イエスはただの人だと思っていた彼らにとって、イエスさまによる罪の赦しの宣言は、それこそ神に対する冒涜以外の何ものでもありませんでした。しかし、イエスさまはそんな彼らの心の中を見抜いておられたので、彼らにこうおっしゃいました。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」と…。

 思うに、罪を赦すこと、病気を癒すこと、悪霊にとりつかれた者を解放すること、加えて死人を生き返らせることなど、私たち人間の力ではできません。しかし、旧約聖書を調べていくと、まさしくこれらのことは救い主なる神さまのなせるみわざであり、しるしであることがわかってきます。そこで、イエスさまはご自分が人の罪を赦す神の子であることをわからせるために、今回、この人の病気をみんなの目の前で癒すことになさいました。そうです。中風の人に向かって「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい」と言われたのです。すると、驚くべきことに、彼はたちどころに癒されたのです。そして、神をあがめながら自分の家へと帰っていったのです。また26節では、この一部始終を目撃していた人々も「非常に驚き、神をあがめた」とあるように、実にこうして、彼らの口を通してイエスさまの評判はますます広まっていったのです。一方、批判的な目で見ていたパリサイ人たちと律法学者たちとは、ますますイエスさまを憎むようになりました。そうです。批判的な見方をする人たちからは、決して心からの信仰や心からの賛美というものが生れてくることはないのです。というわけで、イエスさまに愛されている者として、それにふさわしく、これからもイエスさまを知り、イエスさまを信じる信仰の歩みを確かなものにしていきたいと思うのです。

 

【恵みの分かち合い】

1.中風の人の友人について、あなたはどう思いますか。

2.今回、あなたはイエスさまがどのようなお方であると理解できましたか。

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